嫌いな人の幸せは願えない 慈悲の瞑想(慈しみの瞑想)
みなさんも「瞑想」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは「呼吸瞑想」ではないでしょうか。
私がオンライン(Zoom)のレッスンでもっともインパクトを受けたのが、嫌いな人の顔を思い浮かべてその人の幸せを願うという「慈悲の瞑想(慈しみの瞑想)」でした。
インパクトが強過ぎて、慈悲の瞑想イコール嫌いな人の幸せを願う瞑想と思いこんでしまっていたぐらいです。
実はこの「慈悲の瞑想」には順番があって、嫌いな人の幸せを願うことはあくまでもオプションだったのです。
まずは自分(私)の幸せを願います。
その次に親しい人たちの幸せを願います。
3つ目に生きとし生けるものの幸せを願います。
そして余力があればオプションとして嫌いな人の幸せを願うのです。
心が成長していれば嫌いな人たちの幸せを願えるようになってどんなことのことも嫌いにはなれなくなります。
敵のいない人生は「無敵」だからです。
ただしこれはあくまでもオプション。
嫌な気持ちが起こればその時点でやめるようにと書いてあります。
何を隠そう、私はまだこの嫌いな人の幸せを願う境地には達しておりません・・・
因みにこの「慈悲の瞑想」は一点集中の「サマタ瞑想」に分類されるものです。